fc2ブログ

プロフィール

Tatsuo Inoue  -  井上達夫

Author:Tatsuo Inoue - 井上達夫
画家 Tatsuo Inoue(井上 達夫)のブログ


1974年 Born in Texas in the U.S.A
    (米国テキサス生まれ)

1998年 Graduated from Tama Art University(多摩美術大学油絵科卒業)

絵画教室JOEL代表・講師
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【これまでの活動 ~exhibition~】
◇2004年
「井上達夫」展 @ Ben`s Cafe(高田馬場)

◇2006年
「Tatsuo Inoue個展」@ギャラリー波瑠(有楽町)

◇2010年
「井上達夫 素描展」
@イーストウィンドカフェギャラリー

◇2010年
「音楽と絵画」展@ 秀友画廊(銀座)

◇2011年
「音楽と絵画Part2」展@秀友画廊(銀座)

◇2011年
「井上達夫 個展 ~聖書の世界」展 @秀友画廊(銀座)

◇2013年以降、毎年5月にギャラリーランクスアイ(目黒区)にて個展開催

10月「ギャラリーランクスアイ5周年記念展」(目黒)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【受賞暦 ーthe record of winning awardsー】
◆Pan Pacific miniature art exhibition second praize
     2等賞受賞(カナダ)1998年 
◆町田市版画美術館「市展」入選 2005年
 Machidashi  exhibition 2005

【Art with my body ~Karate~】
“自分らしく生きること”こそ、最高の芸術である
と考えています。
武道家が多い父方の血筋と、音楽や絵画などに親しむ母方の血筋の中にあって、絵画、音楽、武道に親しんできました。

身体芸術とも呼べる空手においても、
その人その人の体格、体の使い方、運足(足の運び方)、
呼吸によってまったく違ったものが生み出されていきます


日本空手協会 三段
Karate gym where I serve as instructor↓
日本空手協会本牧支部(Japan karate association Honmoku-shibu)
http://honmoku.ojaru.jp/

[東日本大震災について]
この度の東日本大震災において被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。 皆様の安全と一刻も早い復旧を心からお祈り申し上げます。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

〈第3話〉

飛行機から1


 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
 人の子は何者なので、これを顧(かえり)みられるのですか。
(詩篇8・4~6)

 現在、新聞での仕事も当初より要領を得てきたと思う。絵描きとして、新聞記者として、空手の指導員として、神学校で学ぶ者として…時には「一体あなた、何がしたいの? いろいろやり過ぎなんじゃないの?」とご忠告いただくこともある。

 自分のライフスタイルがほかの人のつまずきにならぬようにと祈らされつつも、これが自分の歩ませていただく道だと確信している。

 人間は働きをしぼるとそれに執着し、神ではないそれらの働きを偶像として握りしめてしまう危険をもっているのではないかとも思う。
少なくとも私自身はそうだ。
私たちは、主なる神以外の何ものをも握りしめてはならない。

 平野耕一牧師の著書『賜物に気づく、幸福にきづく』から、以下の文を引用したい。


「相手を尊重することと、相手にすべて合わせることとは同じでない。
建て前を上手に用い、素の自分を隠しながらつき合った結果、
たとえ相手から好かれたにしても、自信にはつながらない。

なぜならば、『本当の自分』が好かれているわけではないことを承知しているからだ。
せっかくあなたにはあなただけの魅力があるのに、他人に合わせることで汲々としていたら、その魅力は出てこない。
また、自分の魅力に自分でも気がつかないことになる。

自分の心を前面に出したら、『好きだよ』と言ってくれる人が必ず出てくるものなのだ。
…(中略)…自分らしく生きる道は、気楽どころか、かえって多くの困難に直面する場合が多い。
しかし、困難や試練を通して初めて、自分の望んでいる道に気がつくことができる」。



 あなたの本業は何?と質問されたなら、私は迷わずこう答える。

 「イエス・キリストが唯一の救いの道であることを宣べ伝えること」。
その「本業」以外はすべて枝葉のこと。

 絵も空手も出版社での働きも、神様に「捨てよ」と言われればいつでも手放す覚悟と用意をもちつつ、働きに当たってきたつもりだ。
 新聞記者として取材をする中で、私のように働きながら伝道の働きに献身したいという牧師・伝道師たちとの出会いや交流も与えられた。
このような出会いも含め、神学校での学びだけでなく出版社での働きもまた、神様が備えてくださった訓練の場であったと思う。
 空手の世界においても、実力外のところで指導員として召し出され、お偉い先生方の交わりに参加させていただく中で、大胆に「唯一の神イエス・キリスト」について語る機会が与えられていることにも、神様な不思議なご計画を感じている。

 主イエスの大宣教命令(マタイ28・18~20)に基づいた世界宣教の実践のために自分に何ができるのか?
 今、この日一日を主に従って歩むほかない。

道は自分で切り開くものではない。
主が道を造られる。

わたしは、わが魂をみ手にゆだねます(詩篇31・5)。

まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない(詩篇49・7)。

わたしは取るにたらない者で、人に侮(あなど)られるけれども、なお、あなたのさとしを忘れません(詩篇119・141)。

 これからどんな状況に置かれようとも-忙しい時も緩やかな時も、
貧しい時も富む時も-主が私に良くしてくださったことを、
何一つ忘れることがありませんように。

主なる神、イエス以外は何も握りしめることがありませんように。

そう祈りつつ、歩ませていただきたい。


  もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 
(第1コリント9・16)

      【終】

※絵は02年制作のもの。
スポンサーサイト



<< スペインの思い出 | ホーム | 〈第2話〉 >>


コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP